つい先日、私の住んでいる地域のニュースで報じられました。
県の教育委員会が発表しました。
「昨年度の県内のいじめ認知件数は、初めて1万件を超えました」。
ニュースでは、こう説明されていました。
「県教委は、教職員が積極的に認知・対応をすすめている結果と捉えています。」と述べました。早期対応が進んだ成果だと説明されていました。

↓元ネタ
しかし、保護者の受け止めは違います。
現場の先生も、戸惑っています。
少子化で子どもの数は減っているはずなのに、件数は増えています。
数字は増えています。
現場の空気は悪化していません。
受け止めは、立場ごとにズレています。
「いじめ認知件数1万件越え」はニュースが言うように、教員の頑張りによる良い変化なのでしょうか。
それとも、別の何かを見誤っているのでしょうか。
これでは良いとも悪いとも断定できません。
それは結果ではなく、測定系がどう変わったかを映す指標だからです。
疫学的解説
ここで起きているのは、現象の悪化とは限りません。
まず疑うべきは、観測のされ方の変化です。
いじめ認知件数は、いじめが起きた回数ではありません。
いじめとして認知し、記録された回数です。
この二つは似ていますが、同じではありません。
疫学的に見ると、主に二つの要因が考えられます。
一つ目は、検出バイアスです。
検出バイアスとは、拾い上げる力の違いで、同じ現象が違う量に見えることです。
・軽微な兆候でも認知する
・相談経路が整う
・申告が増える
こうした変化があれば、実態が同じでも件数は増えます。
二つ目は、定義や運用の変更による測定系のズレです。
たとえば、
一度のひどい悪口を「いじめ」と数えるのか。
繰り返しだけを対象にするのか。
集団で行われた場合だけを含めるのか。
言葉だけも含めるのか。
暴力を伴った場合を別枠にするのか。
定義が違えば、
同じ「いじめ認知件数」という名前でも、
中身はまったく異なります。
同じ「いじめ」でも、年度や自治体で定義や基準は異なります。
測定系が違えば、同じ名前のアウトカムでも別物になります。この二つを混同すると、解釈が崩れます。
ニュースでは、教師がいじめを検出するために頑張ったことが前面に出されていますした。
測定系がそろっていなければ、
こうした差があるまま件数を並べても、それは現象の違いではなく、測り方の違いを比べているだけです。
この状態で順位をつけたり、増減を評価したりすると、
だから疫学では、測定系が異なるデータを、安易に横並びにしません。
もしそれが満たせない場合、件数の大小や増減から、良し悪しを語ることはできません。
語れるのは、その地域やその年度の中で、何が変わったかだけです。
数字は比較して初めて意味を持ちます。
件数の増加を見て、「学校が荒れている」と断じるのは早計です。
一方で、「拾えているから良い」と言い切るのも危ういです。同じ数字でも、両方の読みが成立します。
だから問うべきは、これです。何が変わった数字なのか。
数字は事実です。
しかし、数字は現実そのものではありません。
数字は、測り方の結果です。
【今日の新キーワード:測定バイアス】
測定バイアスとは、測り方や拾い上げ方の違いによって、同じ現象が違う量に見えてしまうことです。
問題が増えたから数字が増えるとは限りません。
見逃していたものを拾えるようになると、数字は増えます。
測定の感度や定義が変われば、結果も変わります。
測定バイアスを完全に避けることはできません。
なぜなら、測定バイアスは「ミス」ではなく、測り方を整えた結果として必ず生じるものだからです。
だから疫学では、測定バイアスを消そうとはしません。
判断を壊さないように扱うことを重視します。
数字を見る前に測定系を見る姿勢を持ちましょう
その数値は、どの定義で、どの基準で、どの経路を通って集められたのか。
ここが変わっていれば、数字が同じ名前でも中身は別物になります。
測定系が違う数字は、比較の材料になりません。
件数だけで結論を出さないことにしましょう
件数は、測定バイアスの影響を最も受けやすい指標です。
拾い上げが強化されれば、実態が同じでも簡単に増えます。
そのため、人数あたりの割合や、重さ別の内訳など、
別の角度から同じ現象を見る指標を併せて確認します。
数字の増減を見た瞬間に評価しないようにしましょう
増えたから悪化、減ったから改善。
この反射的な判断を一度止めます。
その変化は、現象が変わったのか、測り方が変わったのか、
それとも両方なのか。
この問いを挟むだけで、解釈の暴走は防げます。
測定バイアスは、数字を歪める敵ではありません。
数字がどこから来たのかを教えてくれる、重要な手がかりです。
だから疫学では、数字を見る前に、測り方を見る。
この順番を守ることで、判断は安定します。
まとめ
・件数の増減は、現実の変化とは限りません。
・まず「何が変わった数字か」を考えます。
・数字を見る前に、測り方を見る癖が判断を安定させます。
―疫学からみた、いち親の意見―
この測定方法のままだと、介入が効いたのか、効いていないのか、永遠に検証できません。
測定系が毎年揺れる。
定義が広がる。
拾い上げの感度が変わる。
こうなると、
数が増えたのか。
減ったのか。
それとも、測り方が変わっただけなのか。
いじめの実態は誰にも分からなくなります。
そして一番まずいのは、「分からない状態」が続くことです。
分からなければ、
・対策が効いたか検証できない
・失敗から学べない
・改善できない
結果として、同じことが繰り返されます。
それをしない限り、「認知件数が増えた」「減った」という話は、
当事者の私たち家族にとっては何の慰めにも、何の説明にもなりません。
疫学思考は、医療者だけの学問ではありません。
「何を、どう測れば、現実を誤らずに語れるか」を考える道具です。
それは、教育の現場にも、そのまま必要な視点です。
感情と数字を対立させないために。
善意が誤解されないために。
そして、こどもの人生に本当に効いたのかを確かめるために。
双方に納得できる説明を期待しています。
この記事の作成中に、新しいデータが発表されました。
小中高生の自殺者数は、近年増加傾向が続き、令和6年(暫定値)では527人と、統計のある1980(昭和55)年以降で. 最多となっている。
文部科学省資料より(2026年1月31日 Web参照)

もちろんこの点についても、「学校のいじめの増加のせいだけ」とは思っていません。
いじめの認知件数の増加と、自死の子供の増加。
実際はどうなんでしょうね?


