【理学療法士の疫学:因果効果】個人の改善は、治療効果の証拠になりません

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新しい機器で、驚くほど良くなった患者さん

回復期病棟に、新しいロボット治療機器が導入されました。
歩行練習を中心に使える、話題の機器です。

【↑↑これは事例なので実際のリハビリとは関係ありません】

ある脳卒中後の患者さんに試しに使ってみたところ、
これまで停滞していた歩行速度が、数週間で明らかに改善しました。

立位の安定性も良くなり、本人の表情も前向きです。

スタッフ間では、「これはすごい」「ロボット治療のおかげだ」という声が上がりました。これまでの内容は大きく変えていません。

変わったのは、この機器を使い始めたことだけです。

「このロボット治療が、この患者さんに大きな効果をもたらした」
と言ってよいのでしょうか。

その手応え、本物かもしれませんが、そのままロボット治療そのものの効果と呼ぶのは少し危ないです。

疫学視点で考える

この場面で直感的に起きているのは、

「改善した → 新しい介入が効いたはずだ」という結びつけです。
臨床では、ごく自然な考え方ですし、現場ではむしろ必要な感覚でもあります。

ただし、疫学の視点では、ここで一度ブレーキをかけます。

個人の効果からは、その介入の因果効果を直接推定することはできないからです。

因果とは、
「もしその介入がなかった場合と比べて、結果がどれだけ変わったか」
を意味します。

重要なのは「比べる相手」です。

しかし現実には、
その患者さんが「もし、ロボット治療をおこなわなかった世界」を同時に観察することはできません。

ここで見ているのは、
あくまで“起きてしまった一つの経過”だけです。

そこには、いくつもの別の説明が入り込みます。

・ちょうど自然回復が進む時期だった可能性
・新しい機器を使うことで、訓練量や関わり方が無意識に変わった可能性
・評価する側・される側の期待の影響

これらを、一人の症例だけで切り分けることは不可能です。
真面目に考えれば考えるほど、断定できなくなります。

だから疫学では、
個人の結果を、そのまま因果の証拠として扱わない
という立場を取ります。

これは臨床の実感を否定するためではありません。
誤った確信に変わるのを防ぐためです。

その代わりに行うのが、集団での比較です。
条件が似た人たちを集め、
「使った群」と「使わなかった群」で、平均的な差を見ます。

この差が、因果効果の手がかりになります。

こうして初めて、
「この介入には、全体として、どの程度の効果がありそうか」
を推定できます。

ここで大事なのは、
集団の評価は、個人を切り捨てるためのものではない
という点です。

「個人」の因果が直接わからないからこそ、
「集団というレンズ」を通して、因果に近づこう
としているのです。

【今日の新キーワード:個人の因果効果】

個人の因果効果とは「その人が曝露を受けた場合と、受けなかった場合の結果の差」である。

ところが、問題は、この2つの世界を同時に観察できないことです。だから個人の因果効果は、原理的に直接は見えません。

そこで使われるのが、集団の評価です。

集団の平均的な効果は、
「個人の因果効果がどのあたりに分布していそうか」を推定するための道具です。

ロボット治療が効いたかもしれない、
という直感を否定するのではなく、それを検証可能な形に置き直すのが、疫学の役割です。

だから疫学は、
「この患者さんには効いた気がする」という感覚を、そのまま否定しません。

ただし、そのままでは判断材料にならないとも言います。

本当に治療のおかげだったのか。
自然回復だったのか。
たまたま調子の良い時期だったのか。

個人の経験だけでは、切り分けられません。

そこで疫学は、同じような背景をもつ人たちを集めて、治療を受けた集団と、受けなかった集団を比べます。

平均がプラスでも、
全員に効くわけではありません。

平均が小さくても、
強く効く人が一部にいるかもしれません。

集団を評価することで「本当に効くのか」はより明確になります。

「効いた気がする」を、集団として測定し、
「どの条件なら、誰に、どれくらい効くのか」へ。

その置き換えができたとき、臨床の経験は、次の患者にも使える知識になります。

 まとめ

個人の改善だけから、その介入の因果効果は断定できません

・疫学は、個人の因果が見えない前提で、集団から因果に近づきます

・個人の因果を推定する方法もありますが、判断に迷ったときに集団を評価する考え方を知っておくことも重要です。

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